筆者は旧帝大の大学院に在学していますが、以前は偏差値45の地方私立大学に通っていました。そこから、よく両校の違いを比較することがあり、私立大学の方が良いところもありますが、両校の違いを意識している人は少ないと思います。しかし、基本的には国立大学の方が学生の質の高さなどから、過ごしやすいことには変わりないということが筆者の立場です。
本記事の目的は、受験生への参考になることであり、旧帝大が地方私立大学より劣っている特徴についてまとめていこうと思います。しかし、建物がボロいことは当たり前なので、それ以外となります。この観点から書かれている記事はあまりないと思うので、貴重なコンテンツとなるでしょう。
※取り上げる旧帝大は筆者が通う1校ですので、他の旧帝大や国公立大学には当てはまらないということがあり得ることをご承知ください。
目次
- 今回取り上げる大学の違いや共通点
- 図書館に人が多過ぎて窮屈
- 学習設備がケチ
- 授業の連絡や課題を提出するためのサイト(学生用ポータルサイト)がしょぼい
- 授業中に先生とコミュニケーションを取るツールがほぼない
- 出席確認が手書き
- 学部ごとに事務が分かれていることで、他学部で開講されている科目の講義室の場所が調べにくい、分かりにくい
- まとめ
今回取り上げる大学の違いや共通点
・学生数1万人以上
・地方都市の中心地に立地
・学部は10個くらい
・偏差値は大学院であるため測定不能
・キャンパスの面積が広い
地方私立大学
・学生数1万人以上
・地方都市の中心地に立地
・学部は10個くらい
・偏差値45
・キャンパスの面積が狭い
地方といっても紹介する私立大学は旧帝大と同じ部分があることを示すために、概要を載せます。赤字は共通点です。
私立大学が地方にあるメリットによって、旧帝大は良くないということを伝えるつもりはありません。田舎の方が住みやすいとかそういうことではないです。共通点があるのに、旧帝大の方が不便であるということが本筋です。
図書館に人が多過ぎて窮屈
1つ目は、図書館にいる学生の数が多くて狭く感じることです。勉学に真面目な人が多いため、土日でも意外と多くの人が利用しています。特に多かった時期が7月、8月の猛暑日です。クーラーが効いているせいか、見てきた中で一番多かったです。筆者が座っていた席の真横に赤の他人(女性)が堂々と座ってきたことがあります。驚きました。クーラーを浴びるために、利用しているだろうということから、貧乏人のフリーライダー現象が多発していました。筆者もその内の一人になりますが。
しかし、12月24・25日はほとんど人がいません。外で何をしているのでしょうか。
一方、筆者が卒業した地方私大は勤勉な人が少ないため、図書館は試験期間以外は常に空いていました。自分の空間にするなら、偏差値が低めの大学が良いと思います。
学習設備がケチ
2つ目は、フルスペックの共有PCや無料の印刷機などの学習設備が乏しいことです。旧帝大では筆者が見た限り学生が自由に使えても動作の遅い共有PCが1台、印刷機が数台しかなかったです。そのため、私物のPCを持ち込むことが必須で、印刷機に自力で接続していました。
一方、私大の時は1室に数十台くらいの高スペックのデスクトップ型共有PCがあり、印刷機でたくさんのレジュメを無料で刷ることができました。カラーか白黒問わずです。そのため、ノートPCを学校に持ち込んだことは、ほとんどなく、共有PCでレポート作成をしたり、調べ物をしたりしていました。
因みに旧帝大にも、共有PCが10台くらいある教室を見たことがあったのですが、ログインができませんでしたし、ボロいパソコンしかありませんでした。授業や研究活動の質は高くても、学生が個人利用するための設備が不足しているなと思います。学生からの授業料収入が少ないことから、それに割く予算が限られているのだと思います。設備がボロいことと似ている内容になりました。
2023年10月追記:図書館に自由に使えるデスクトップPCがありました。但し、印刷するにはUSBが必要なので不便さが残っています。あまり使う気が起きない。あと、台数が私大の時より少ないような。
授業の連絡や課題を提出するためのサイト(学生用ポータルサイト)がしょぼい
3つ目は、授業の連絡を受けたり、課題提出するためのポータルサイトが使いにくいということです。先生からの授業に関する連絡が来ても、メールなどへの通知が来ないため、見逃す可能性が高いです。ただし、先生側が意図的に設定すればメールに通知が来ますが、それをしてくれる先生は一部です。
また、ポータルサイトの作りが安っぽくて、課題の提出フォームが探しにくいことがあります。初めて触ったときは、レイアウトが簡素過ぎて見にくいし、デザインがガサガサしてて、課題を提出してもできているのか不安に感じました。しかし、通信量の消費が少ないせいか、通信制限の状態でアクセスしても、読み込みが遅くない(思ったより早い)という便利さを発見できました。
そして、スマートフォンからアクセスしたときは操作に不便でした。スマートフォンだと縦画面であるため、ページが正しく機能していなかったからです。例えば、時間割のページでは、一部の曜日が見切れていることがありました。画面を横向きにすることで全体が見えるようになるため、筆者は態々その状態で画面を操作していました。
このような不便さは、デジタル化が遅いことが原因ではないかと思います。国立大学共通の問題かもしれません。私立大学ではこのような不便はありませんでした。初期設定でメアドに通知が届き、レイアウトも整っていて、スマホからの操作も可能でした。
私立の時はコロナ禍になる前から、テストの実施もポータルサイトの機能を使っていました。今の大学院では筆記試験は必ずペーパーテストです。しかし、スマホから回答できることでカンニングや学外受験が横行するため、これについては利便性と公平性のトレードオフの関係から、ペーパー試験を否定しにくいです。なんでもデジタル化が正しいという事ではないですね。
さらに話が長くなりますが、当時の私立大学に旧帝大に在籍しながら、教鞭を取っている教授がポータルサイトでテスト作成できることに対して、「作るの楽しいですね」みたいなことを言っていました。やはり、旧帝大は授業のデジタル化が遅いのかもしれません。
授業中に先生とコミュニケーションを取るツールがほぼない
4つ目は授業中に先生と意見交換するためのツール・道具がほとんどないということです。その場で直接発言する必要があるため、話すことが得意な特定の人だけが発言することが多くなります。どうしても先生に話を聞きたいときは、個人で授業後に話を聞きに行ったり、メールで問い合わせる必要がありました。
一方、私立では専用のアプリが入学時にインストールするように案内され、それによって、先生の端末に授業に関する意見や感想を送っていました。フィードバックも授業中や終わった後に貰うことができます。しかし、学生数が多く、先生も一人一人の名前を覚えきれないので、精神的な距離感はあります。さらに、位置情報の機能が付いていることで、教室外で送信した人を炙り出すということもしていたらしいです。出席確認もそれでしていました。
私立の教授の方がデジタル化に対応できているのは、若い先生が多いことにあるのではないかと思います。さらに、私立大学は先生一人当たりの学生数が多くても、若さの力で学生から受け取った情報を裁けているのかもしれないと筆者が勝手に思い込んでいます。ちなみに、TA(ティーチングアシスタント)制度はありませんでした。
旧帝大なら地方私立大学よりも、優秀な人が、話すことが苦手な人も含めて多いことから、より有意義な意見交換が先生とできると思います。コミュニケーションツールの導入をしてみたらどうですかね。
ですが、筆者が大学院で履修した授業で1回だけグーグルフォームで先生とやりとりをした経験があります。しかし、その先生は他の国公立大学に在籍している方であったため、私立とは違って、自力でできるノウハウが先生にないと難しいのかもしれません。
出席確認が手書き
5つ目は、またデジタル関係で出席確認が手書きということです。今の大学院では、授業の出席確認を先生が一人一人確認して、名簿にチェックするか、各学生に用紙を回して名前などを書いてもらって回収するということをしていました。場合によっては、TAを活用する先生もいます。デジタル化ができない分、人手で事務作業量をカバーしているなという印象です。
筆者の母校である私立大学では、先ほど触れた専用のアプリやポータルサイトから出席確認をしていました。スマホのタップ入力で済むため、手書きより楽です。
ここまでで、DXに関するポイントが連続しましたが、こんなにデジタル化が進んでいないのは筆者が通う旧帝大だけでしょうかと思って不安になりました。他の国立大学ではどのような方法で授業を運用しているのか気になります。
学部ごとに事務が分かれていることで、他学部で開講されている科目の講義室の場所が調べにくい、分かりにくい
6つ目は、学部ごとに事務が分かれていることで情報の統一・集約ができていないということです。事務の場所も分かれています。他学部で開講されている教室を調べるために、ウェブで学部のホームページを検索して、さらにPDFで教室一覧表みたいなものが添付されているページを探す手間がありました。シラバスや履修登録用のサイトには掲載されていないから、態々調べていました。
また、教室名だけを示されても、地図が載っていないことが多く、講義棟が大きくて、広いため場所を探すことに苦労したこともあります。そのため、授業前に教室を下見したり、時間割表を印刷して手書きで教室名を追記したりして、迷子を回避していました。
一方、私立では、ポータルサイトで履修登録をした時の時間割表に、教室の場所も表示されるため、スクショやプリントアウトだけで全て確認できるようになっていました。また、筆者の母校はキャンパスが狭く、教室名だけで場所が分かるような表記になっていたため、迷子になることはなかったです。事務の場所も1ヶ所に学部別の窓口を集約していたため、情報の集約もしやすいような工夫ができているのでしょう。
今の大学院では、省庁や自治体などの行政機関であるような縦割り構造を感じます。国が絡んでいるから難しいかもしれないですが、横割り改革を行うなどを考えたらどうかと思います。念押しとして、学生数は両校とも1万人以上いるため、規模が原因ではないと思います。
まとめ
今回は旧帝大が地方私立大学より劣っている点についてまとめていきました。とはいっても、筆者が国立信者であることには変わりないです。今回紹介したハード面のメリットよりも、まともな人格の学生が多いなどのソフト面のメリットの方がキャンパスライフの居心地を良くしていると感じるからです。主観ですので、人によって私立が良い人もいるかと思います。
とはいっても、デジタル化や情報の横割りが進んでいないところは気になり続けるところです。
注意として、この記事に書かれていることは筆者独自の視点で書かれていますので、大学側の事情とは間違っている可能性があります。この記事を何かの引用先にしない方が良いでしょう。
一応、フォローとして私立大学に通って良かったところは、ほとんど手ぶらでも学内で学業ができることではないかと思います。筆者は文系ですが、1人で勉強するための設備が以外と揃っていました。独りで生活できるという感じです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。