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公立高校で取り入れられているエッサッサは若者の弱体化政策である

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 工業高校または偏差値が低めの公立高校では体育祭で「エッサッサ」と呼ばれる競技が伝統になっていると思います。筆者の高校(偏差値45)も工業高校と合併したことでエッサッサをやる羽目になりました。この記事の結論を言うと、エッサッサは今の教育に要らないと考えています。その理由を今回は筆者の4年以上前の高校時代を基に説明していきます。

 目次は次の通りです。

エッサッサとは

 まず、そもそもエッサッサは何かを軽く解説します。これは日本体育大学が発祥の男性が大声を出す踊りみたいなものです。詳しい内容を知りたい方はYouTubeなどで検索してみてください。あまり興味が湧かないでしょう。見ると気分が悪くなるので、この記事には張りません。

 なぜ私立大学の行事が公立高校に普及したのかと言うと、日体大出身の体育教師が原因だと思われます。当時は教育に良いだろう感覚で取り入れたのでしょうが、私立のものを公立に入れ込むのはどうなんでしょうか。

エッサッサのメリット

 本題に入る前にメリット、デメリットを入れておきます。

  • メンタル修行になる

 エッサッサのメリットは経験上、これ一つです。エッサッサの練習はとにかく過酷で先生からの体罰あり、罵声ありとなっています。このおかげで社畜に耐える精神が身につくと思います。だからと言って筆者はエッサッサを正当化するつもりはありません。社畜に慣れるならコンビニなどでアルバイトをした方がより直感的に学べます。

エッサッサの良くないところ

  • 思考力が奪われる
  • 生徒の意見無視で強制参加
  • 罵声、体罰が正当化されている

 エッサッサは悪いところしかないと思います。まず、エッサッサをしている時は大声で全力を出さないと先生から叩かれたり、怒号を浴びせられます。そのせいで、筆者はトラウマになり、余計な事を考えることを辞め、無心になっていました。同級生も愚痴を言ったり、ぐったりしている人もいました。さらに、練習の時間前に姿を消す人もいました。しかし、このような事態になっても全く校内外で問題にはなりませんでした。今思えば異常ではないでしょうか。エッサッサは奴隷教育です。当時の体育教師は嫌いですし、エッサッサが良かったと思ったことは一度もありません。エッサッサを楽しんでいたのは工業科の「猿」と言われていたウェイ系だけでした。あの人種は社会に放たれて、何をしているのでしょうか。

エッサッサは要らない

 ここから本題です。デメリットである考えることをやめ、ひたすら同じことを繰り返すエッサッサは今の高等教育には不必要であり、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の時代にそぐわない古い競技です。日本を発展させるなら、肉体労働に耐える精神力よりも頭脳、学力を向上させるべきです。若い時ほど能力の成長期であるため、エッサッサは相性が最悪と言えます。つまり、エッサッサは日本の弱体化政策だと捉えることもできます。底辺高校ほど学力を上げる教育改革が必要です。どうにか無くす方法はないのですかね。NHK党の言葉を借りれば、「エッサッサをぶっ壊す」というところです。そのために、まずエッサッサを行っている高校で生徒たちに支持率を聞きたいところです。

 筆者の高校では体育教師が「世の中は縦社会だから必要だ」みたいなことを言っていました。確かに困難を乗り越えるために一理あるかもしれませんが、そんなことはありません。体罰、罵声が許され、思考停止でガムシャラにやることが必要なんて馬鹿げてます。筆者は底辺社会人には絶対になりたくないので、このような思考は邪魔だと捉えています。高校生を侮辱しているのでしょうか。世間は多様性の時代であるため、まだ学生には挽回できる未来があります。

まとめ

 今回はエッサッサに対して筆者の意見を述べました。現在、どれくらいの高校で行われているか把握していませんが、エッサッサは若者の学力を奪う愚かな伝統です。勉強した方が将来、出世できますし、社会貢献に繋がりやすいと考えています。筆者の母校だけでも撤廃したいです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 このブログでは勉強の良さを伝えています。良かったら他の記事もご覧ください。筆者は高校の奴隷のような経験を二度としたくないという理由も一つに大学に進学してから、勉強をガリガリやりました。

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